映画『ラーメン侍』誕生のきっかけ

映画『ラーメン侍』誕生のきっかけ

プロダクションノート 瀬木直貴監督が本作の構想を思い立ったのは、2006年久留米で『Watch with Me〜卒業写真〜』を撮影していたとき。当時、支援する会のメンバーの1人だった香月均氏が地元タウン誌『くるめすたいる』に連載していたコラム『ラーメン今昔物語・初代熱風録』を読んだのがきっかけだった。

香月氏は九州を中心に10軒以上の店舗を展開する人気ラーメン店のオーナー。『ラーメン今昔物語』は、久留米ラーメンルネッサンス委員会の一員としてラーメンフェスタ開催に尽力していた香月氏が、1999年の第1回開催に向け始めたコラムだ。豊富な知識と話題を盛り込みながら、ユーモアあふれる語り口でラーメンへの愛とこだわりをつづる同コラムは、今年で12年目、連載140回を越えている。映画『ラーメン侍』は、その中の『初代熱風録』(香月氏の少年時代を、街の様子や父親・家族とのエピソードを交えてつづられたシリーズ)に着想を得て生まれた物語なのだ。

ラーメンフェスタの後は、「総合芸術といわれる映画で町おこしを」と考えていた香月氏の“ラーメンと故郷に対する想い”に触発されスタートした企画だが、瀬木監督にはもうひとつの目的があった。それはラーメンを通して日本の文化を描くこと。

「日本人が好きな食べ物」ランキング(2007年NHK調べ)によると、ラーメンは寿司、さしみについで堂々の3位。20年前はトップ10にも入っていなかったことを考えると、比較的新しい日本の国民食といえる。もとは中国の中華麺をルーツとするラーメンは、戦後、中国でラーメンの製法を覚えてきた引揚者が全国にラーメンの屋台を次々と出現させたことから定着した。何より、安い材料で美味しく栄養満点のラーメンは、戦後食糧難の時代に、ピッタリの食べ物だったのだ。この戦後の日本を支えた味が、それぞれの土地の食文化と結びつき、現在のバリエーション豊かなラーメンへと発展した。日本人のソウルフード、ラーメンは戦後の日本復興の“味”でもあるのだ。

 

 
 
「ラーメン侍」製作委員会